アダムとイブの昔より
 


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潮風にひるがえる様が何とも大胆鮮烈な、
足元まであろうかという砂色の長外套がようよう映える
180センチ以上はある 均整の取れた長身と、
撫でつけぬまま目許や頬へかかるほどうそりと伸ばした
甘く茶がかった深色の蓬髪が、ある意味で彼のトレードマークで。
愁いの翳りを含んだ鳶色の双眸が座る目許や
まださほど骨ばらぬ頬に影を落とすも、
それでもその淑と甘やかで印象的な、端正に整った顔容へは何の障りにもならぬ。
伏し目がちになると虹彩の大きめな瞳へ長い睫毛が影を滲ませ、
柔らかそうだが知的に引き締まった口許ともに、
寂寥をおびた物憂げな表情をいともたやすく醸し出すその顔は、
控えめに言って十分に“イケメン”の範疇で。
立ち居振る舞いに品があっての、嫋やかな印象が先に立つものの、
上背があって腕足も長いだけでなく、
双肩も頼もしくて背中も広く、格闘技も護身術の範囲でなら十分こなせ。
何より、その反射や機敏な機動性は目を見張るものがあり、
活劇の場でも鮮烈に立ち回れる 精悍な御仁。
今でこそ、軍警が頼りにする薄暮の武力集団、
叡智と行動力を正義の名のもとに行使する“武装探偵社”の調査員だが、
出自は裏社会の非合法組織“ポートマフィア”で、
6年前の当時は弱冠十代だったにもかかわらず
関東一円にて群雄割拠状態だった時期の
通称“龍頭抗争”を制した顔ぶれの中に居たとさえ言われる、
伝説の“歴代最年少幹部”でもあり。
まだまだ十分に青二才であろう 22歳の今だって
いざという時には妙に貫禄があっての頼もしく、
どういうスイッチが入ってか、そりゃあ昏い目をして真顔になれば
どんな恐持てでもすくみ上がるような覇気をまとって恐ろしい、
そんな ひとかどの人物であるはずの太宰治氏が。

 「………あの、本当に “太宰さん”なのですか?」
 「ああ、自分でも信じがたいことだが、その点は間違いないよ。」

頬を双手でくるみ込むようにし、
心底困ったという様相で 背中をやや丸めて肩を落とすと、
ソファーへ沈み込むよにして悄然と坐している。
巌のようなという見るからに雄々しき逞しさとは無縁だったが、
それでも精悍な頼もしさ、男らしさを醸していた姿態の
一番の特長だったはずの長身は やや縮んでおり、
その輪郭も どこか儚げな雰囲気を増しての一回りほど小さくなっている。
いかにも大人の、成年男性ならではな頼もしさの象徴だった手も、
見るからに細く嫋やかなそれと化し、
両手のひらでくるみ込んでいる頬だってふんわりと柔らかさを増していて、

 「さっき見ただろう? キミの放った“羅生門”をきっちりと無効化できた。」
 「…はい。」

そうと言いはしても、当人からしてどこか納得がいかぬと混迷の表情を隠せないでいる。
というのも、

 「何だろ、これって。どういう運びなの?」

膝に肘付き、前かがみになってたその上体をがばりと起こせば、
やや大きめのTシャツの下で
それなりの重量があろう いかにも女性らしい膨らみがたゆんと揺れるから、

 「う…。///////////」

慣れがあるのどうのというのではなく、ただ単に属性の問題として。
今更 初心な少年のよに含羞むというよな人性ではなかった筈だが、
相手が相手だからという順番なのだろう。
太宰と向かい合って坐していた芥川が
眸のやり場に困ったように視線を逸らし、何とも言えぬ困惑の表情をして見せる。
心持ち小さくなった上背の次に判りやすい変化特徴が その豊かな胸乳であるが、
他にも顔つきや肩口も小さくなっていたり柔らかな丸みをおびていたりと、
成程、一目だけであの太宰治と同一人物だとは承認し難い変わりようであり。
早い話が、今の彼は どこから見ても間違いなく、
それは若々しくも瑞々しい、
ついでに何とも胸元の豊かな女性へと転変してしまっておいで。
もともとが厳ついマッチョなタイプではなく、ソフトで嫋やかな貴人タイプだったためか、
いかにも挑発的で扇情的なグラマラスタイプではなくの、
どちらかといや清楚で天然そうな “綺麗なお姉さん”へと変貌しており。
髪も背にかかるほどまでという長さに伸びていて、
これでは黒獣の青年が“何奴っ”と誰何を問うたのも当然だったと言えて。
だが、

 「どう考えても何らかの異能の波及なようだけど、
  だったらどうして私の異能無効化をかいくぐれたのかな。」

太宰の持つ異能力は、“人間失格”という名で異能力の無効化だ。
主には手で触れたものへと効果をもたらす力だが、
自身へ向かって波及せんとする類のものも無意識下で弾くらしく。
よって、与謝野女医の『君死給勿(きみしにたまふことなかれ)』も
自分にはほどこしてもらえぬと嘆いていたほど。
なので、どんなに強力な異能であろうとも、
そうそう容易く 彼へ影響を与えることは出来ないというのが大原則なはず。
それに、どんな形でか
その最大の難関である“人間失格”をこそ無効化したのだとするならば、
何故、今はそれがそのまま発動できるのか。

 『何だこれ、何でどうして、どうなっているのだ。』

ただ女性へと転変したことのみならず、自分の上へ起きているそんな矛盾へも動転してだろう、
やや焦り気味に何だ何でと口走りながら、
その手で腕やら顔やらぺちぺちとせわしなく叩いて戻れ戻れと頑張ってみたものの、

 『だ、太宰さんっ。』

そちらもまたこの事態へ呆然としていた芥川が
その混迷の様子へ何とか我に返り、
ムキになってた師へ“赤くなるだけです”と制したほどで。
拙いにもほどがあるが、そこが何とも彼らしかった云いように、
ハッとし、我に返った太宰としては、
訳の分からぬ事態じゃあるが、自身で何とかせねばならないねぇと、
途轍もない混乱の中で、何とか糸口を模索している模様。

 「やはり…異能、でしょうか?」

 「ああ。怪しい薬品でというのはかなり無理がある。
  日数を掛けてじわじわとというならともかく、
  ここまで鮮やかに、しかも瞬時に、
  ヒトの体組織を作り変えられる薬品なんて有り得ない。」

そこは揺るぎのない結論だとして、

 「人間失格で無効化されないということは、
  解除するには異能者本人に触れるしかないのだろうが、」

昨夜就寝するまでは何の問題もなく男だったのだしと口にした太宰が、
ちろりと視線をやった先で、

 「あ、はいっ。僕が起きた時点でも太宰さんは男性のままでした。」

何を訊かれているものか、
表情薄い一瞥だけで素早く察し、それは速やか且つ無駄なく応じた芥川で、
作戦展開中もかくやという、この辺りの打てば響くは相変わらずといえ。

 「そう簡単に誰かが侵入出来るようなマンションでもフラットでもない。
  何とか入れたとしても芥川くんや私に気づかれぬままごそごそ出来ようものか。
  異能者本人が直接触れてもないのに効果が出た事実を解析するなら、
  実はもっと前もって触れたものが何時間もかけて発現したという遅行型である可能性も考えられる。
  国木田くんの“独歩吟客”のように
  前もって書き記しておいて、のちに読み上げることで発現するタイプもあろうし、
  だがそうなると余程に強力な手合いだということになるから、
  ああ彼奴の仕業かと思いつけないはずがないのだがな。
  そこまで名の知れた人材ではないというならば、
  案外と小物で、鮮烈斬新な効果を発揮しはしても、
  実際、ほんの数刻しかもたぬ弱者かも知れないってことか?
  若しくは、上書きされればあっという間に前のが解ける一念型か、
  はたまた限られた期限であっさり解ける時限型か。
  そも、どうやって性別差し替えなんぞというしょむないことを、
  大胆不敵にもこのようなシチュエーションで、しかも異能無効化をかいくぐって仕掛けたかが問題で、」

「……。」

口に出してはいる言だけれど、
これらは向かい合う相手への文言ではない自問自答だ、と。
その辺りは当然ごととして芥川も重々把握し承知している。
とんだ事態に襲われ、やや狼狽えていたはずが、
今はすっかりと常の冷静さを取り戻し、表情薄くブツブツと思考を紡ぐ師であり。
例えば作戦執行中に思いがけない突発事態が勃発した折などに、
速やかに対処せねばならぬは当然の流れ。
それへ連なる人員が数多ある大きな規模の作戦である場合など、
眩暈がしそうな、しかも迅速な“立て直し”に直面する訳だが、
そういった青写真の引き直しを、たじろぎもせず、むしろ果敢に、
若いに似ない落ち着きと少々の高揚の中、
それはテキパキとその明晰な頭脳でこなしてきた太宰を知っている。
現場が混乱せぬよう、指揮系統をいかに効率よく立て直すか、
運用に手慣れた者らは今どこに配されているかなどなど、
イレギュラーな現状と、補正がどこまで効くかという先行きを隅々まで把握し、
それらの行方をすべて、その手中にがっつりと網羅して。
最も効率のいい計画をするすると再構築する鮮やかさを幾度も見て来た。
そういう時は、何かに取り憑かれたかのように独り言を呟いたりすることも多い。
思考の材料や思い付きを片っ端から声に出し、言葉として形成させることで
曖昧模糊な思考をパズルのピースのように扱いやすいものとしている太宰なのであり、
数学の教授や物理学者が
理論や数式を黒板へチョークでかつかつと書き連ねる方が
散り散りになってばらけてしまわず、思考を展開させやすいとするのと似たようなもの。
邪魔をするのは得策ではないが、
ただ、気になったことがあれば、こちらも独り言のように囁くのは構わない。例えば、

 「先程、入電したような物音が聞こえましたが。あれは関与していないのでしょうか。」
 「…そういやぁ。」

そうだったねと口でだけ応じ、
そういやあの番号は…と思考の裳裾をそちらへも広げてから。
眉間へ掌底の縁を当て、
う〜んうんうんと、もはや聞こえないよな級のつぶやきで
延々と思考を紡いでいた太宰が、ふっと顔を上げる。

「うん。何とはなくだが試行プランは固まったよ。
 ただ、実現させるに必要なものとしての実在情報が要りようだし、
 対抗処置を構えるには、我々だけでは手が足りない。」

内的な混乱が収まり、どう動くかの青写真も定まったらしい、
それは冴えた顔になってその身を起こした太宰であり。
ふふと口許をほころばせるところを見ると、
彼の頭の中ではすっかりと、
事態収拾までのルートが、不確定要素込みで構築されている模様。
依然として柔らかな印象のする女性の肢体であることに変わりはないが、
それでもその自信に満ちた表情はいつもの彼のそれに違いなくての頼もしく。
どうなることかと緊張が解けずにいた弟子に、安堵の吐息をつかせたほどで。
手が足りぬという言い回しに、芥川が思い当たった先は、

「首領に知らせるのですか?」

自身を始めとする異能者を数多抱えるポートマフィアの長であり、
膝下に置かぬ存在への情報も多々有すだろう御仁なだけに。
その伝手や人脈を借りるのかと問うと、

「裏世界の異能に関して、知識も豊富そうだし何と言ってもお医者じゃあるが、
 あの人に借りを作るのは何か癪だから、最後の切り札だね。」

自身が養い子だったことも疎ましいか、
太宰は相変わらずの剣呑な態度で眉を寄せて見せ、

「今はとりあえず
 一緒に奔走してくれそうな、勝手のいいお仲間を募りたいところだから…」

別の伝手を心当たりとして想起しておいでならしく。
ふふふんとどこか胡散臭い企みを思わす嗤いようを見せてから、

 「とりあえず何とか指針は固まった。
  ところでお腹が空いたよ、朝ご飯にしないか?」

あっけらかんとそう言って、
線が細くなった分、尚のこと繊細さの増したお顔を
ひょこりと愛らしく傾けたのであった。





 to be continued. (17.10.08.〜)





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 *混乱と混迷の中、それでも何とか対策を講じたらしい
  天下無敵な策士様、もとえ、軍師殿なようで。
  どちら様が援軍にと引っ張り出されるのかは…もうお判りでしょうねぇ?(笑)